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マルファン症候群である事を宣言します!

前回記事の遺伝子検査についての補足です!

自分はこれまでマルファン症候群だと自負し、公言してきましたが
実際には医師からは『マルファン症候群の可能性もあるが、ロイスディーツや
エーラスダンロスなどの可能性もある』と言われてきました。

なのでマルファン症候群だとハッキリと確定はできないけど、
おそらくその類の遺伝子疾患であるのは濃厚だろうという認識でした。

そもそも、なぜ今頃になって遺伝子検査を行ったのか。

それはマルファン症候群の確定診断をする為の遺伝子検査が
全額無料で出来る方法を知ったからです。

無料で出来るのなら本当にマルファンなのかどうかを
ハッキリさせたいという思いが湧いてきました。

誤解のないように正確に言いますと、遺伝子検査自体が無料になるのではありません!

遺伝子検査はそれまで全額自己負担の高額な検査でしたが、
自分のように若くして大動脈解離を発症して何度も手術を行ったり、
マルファン症候群の身体的特徴にいくつか該当し、その疑いが極めて濃厚である場合に、
大学病院の遺伝子科などでは保険適応(3割負担)で遺伝子検査が出来るようになりました。

これは最近の事であり、保険適応で出来る事になったのはNPO法人のマルファン協会などを含む、
多くの方々の御尽力と厚生労働省への要請が実を結んだ結果だと思います。

そして自分は人工弁手術によってすでに身体障害者手帳1級を取得済みなので、
身体障害者の医療費助成制度によって、保険適応の医療費自己負担額は全額無料となります。

検査自体はとても簡単で、採血を採って検体(血液)を遺伝子検査の専門施設に送るだけです。

ただし遺伝子検査を行う前には病院によってやり方はいろいろあると思いますが、
マルファンに該当するのかどうかをその他の検査や問診を行ってから総合的判断を下し、
初めて遺伝子検査に進む事ができます。

自分のような複数の大動脈手術や大動脈解離を経験している若年者の場合は
簡単な問診だけで済む場合もあります。

今回の手順としては外来1回目に遺伝子検査前の問診をしてから採血を行い、
数ヶ月後の外来2回目に結果判定を訊くというものでした。

判定はマルファンの原因遺伝子である『FBN1』のアミノ酸の一部が遺伝子変異を起こし、
結合組織がもろくなるという症状となり、大動脈や骨格、眼、肺など様々な異常を
起こしやすい事が分かりました。

以上の事から正式にマルファン症候群である事が証明されました!

実際のところ、マルファン症候群と確定した事で日常的に何か変わるわけではありませんが、
今までモヤモヤしていたものがようやくスッキリ晴れたので、
これからは堂々とマルファン症候群である事を宣言し、人生を前向きに生きていく所存です!

遺伝子検査

ご報告!

大変遅くなりましたが2月に検体を提出した遺伝子検査の結果、
4月26日の外来でマルファン症候群であることの判定を受け、
ようやくマルファン症候群であることが証明されました。

これからはれっきとしたマルファン星人として堂々と生きていく所存です!

これから大動脈手術を受けるマルファン症候群の方々へ

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★2012年11月に声帯手術をした病院

突然ですがこれから大動脈手術及び人工弁手術を受ける同じマルファン症候群の方々に対して、
一つのアドバイスというか、手術を受ける側(手術経験者)の目線から手術に対する心構えや
あらかじめ準備しておくと後々に役立つと思う事をお伝え出来ればと思います。

まず最初に大動脈手術や人工弁手術を予定手術で行った場合の成功率は、
現在の医療技術においておおむね90%超の高確率になってきていますが100%ではありません。
この大動脈疾患は60代以上の高齢者が主流ですがマルファン症候群などの先天性遺伝子疾患で
若年者(40代以下)が大動脈疾患になり、手術する場合にはその成功率はもっと高くなります。

その反面、大動脈解離で緊急手術の場合には若年者、高齢者に関わらずリスクが高くなり、
成功率がぐんと下がってしまう恐ろしい病気でもあります!

さてこれからが本題ですが、医療技術の進歩で大動脈手術の成功率が高くなったとはいえ、
それとは別の手術リスクとして避けられない後遺症が発生する可能性があります。

後遺症には様々なものがありますが、手術が完璧に成功したとしても発生する場合があるし、
逆に何の後遺症も発生しない場合もあります。

発生するしないは人それぞれであり、実際に手術してみなければ分かりません。

その中でも大動脈手術などで比較的発生しやすいと言われる後遺症にフォーカスしますが、
それは『さ声』という声帯マヒによる発声障害です。

これが起こる原因としては弓部大動脈の下に反回神経と呼ばれる声帯の神経が通っていて、
手術時にこの神経に触れると声帯の片側がマヒして声がかすれ、張りのある声が出せなくなって
聴き取りにくい声になったり、飲食時にむせたり食べ物を飲み込みづらくなったりします。

声帯マヒが発生した場合、半年〜1年ほどである程度の回復が見られますが、
完全に元通りの声に回復するという事にはなりません。
それは声帯の片側が動かなくなると声帯を震わせる事に大きな支障が出るからです。

では一生このまま治らないのかと言うと、決してそうではありません。
それを解決する方法は声帯手術だけになりますが普通の声を出せるまで改善する事は出来ます。
それでも、元々の自分の声(声質や音声)に完全に戻る事は難しいと思います。

ここでひとつアドバイスすると、大動脈手術前にスマホやタブレット(iPad等)、
もしくはホームビデオなどで自分がしゃべる様子を動画に撮っておくことをオススメします。

これは家族に対する大切なメッセージ(例えば誕生日おめでとう!のような特別な言葉)だったり、
歌う姿だったり、声帯マヒになると二度と表現出来なくなる自分の肉声をたくさん残しておくと、
例えば現在お子様が小さくて物心ついていない場合など、やがてその子が大きくなった時に、
お母さんやお父さんはこんな声でしゃべっていたよという姿を見せてあげられるかと思います。

自分は2歳の頃(家庭用ホームビデオがない頃)に母親を亡くしているので、
母の動いている姿は当然の事ながらどんな声でどんな喋り方をしたかなどを知る手段がなく、
写真の姿での母親しか知りませんでした。

そしてもう一つの利点ですが、声帯マヒになって後に声帯手術をしようと決めた時には、
自分の音声記録が声帯手術の時に貴重な比較データとして大いに役立ちます。
それは声帯手術が部分麻酔で意識がある中で声を出して微調整しながら行うからです。

大動脈手術で必ず声帯マヒになるわけではありませんが、また発生しないとも言えません。
声帯マヒは身体的な負担は少ないものの、精神的な負担がとても大きくのしかかります。
声が普通に出せない辛さや話し相手に伝わらないストレスは実際の経験者でないと分かりません。

自分や自分の家族に対しての準備というか、思わぬ事態へのバックアップとして、
またそれが発生する可能性に対しての心の準備としてお考えください。

これから大動脈関連の手術を間近に控えている多くのマルファン症候群の方々に対し、
手術が成功した上でなおかつ後遺症が発生しない幸運が訪れる事を心から祈っています。

お遍路、リスタート!...高野山へ。

令和元年 六月二十三日。

まだ夜明け前の午前4時半だというのに宿泊していたホテルを早々にチェックアウトして、
人通りのない薄暗いアーケード街を自分一人歩いていました。

それは南海電鉄なんば駅から始発電車に乗るためでした。

目的地は弘法大師空海さまが入定されている高野山。
四国八十八箇所を全て廻り終えた自分の結願達成のご報告と御礼参りです。

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始発にもかかわらず電車はすでに十数名の乗客が乗っていましたが停車毎に人が減っていき、
和歌山県に入った頃には車内に自分一人だけの貸し切り状態になってしまいました。

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そして始発から2時間ほど経った頃、終着の極楽橋駅に着きました。

実は高野山行きの電車は極楽寺駅で終着となっていて、そこで下車して駅構内の奥の方に進むと
ケーブルカー乗り場が有り、それに乗り換える事で高野山駅まで行けるようになっています。
切符も高野山駅までまとめて買えるので、改札を出る事なくスムーズに乗り換えが出来ます。

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ケーブルカーは今年3月に下ろしたばかりの新車両らしく、とても色鮮やかにピカピカしていて、
ふだんお目にかかれない階段状の特殊なカタチの車両にワクワクしながら最前列に陣取ると、
山の斜面の急勾配を物ともせず一直線に5分ほどで登りきり、ようやく高野山駅に到着しました。

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到着するやいなや、間髪入れずに改札を急ぎ出て高野山内に向かうバスへと乗り換えます。

誰もいない始発バスに乗り込んだのは高野山駅で一緒に下りた乗客と自分の2人だけでした。

運転手を含めて3人だけの乗合バスはクネクネとした山道をひたすら走って行きます。
こんな山の中にお寺がたくさんあるのだろうかと思い始めた頃、ポツポツとお寺が見えて
高野山らしい風景になってくると出発から15分ほどで『奥の院前』に到着しました。

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奥の院への入口は『一の橋』と『中の橋』と呼ばれる2ヶ所がありますが、
『奥の院前』のバス停は『中の橋』の入口にあって隣には広大な駐車場やお土産屋さんもあるので
観光バスや大半の観光客はここから奥の院へと向かうようです。

また中の橋ルートは裏参道でもあり、表参道である一の橋ルートの約半分の距離となっています。

そして『奥の院』とは弘法大師空海が即身成仏として入定された御廟(ごびょう)と呼ばれる
聖地があるところで高野山では最上部の位置にあります。

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中の橋をくぐって広い裏参道を歩いていくと、参道の両脇には大きな慰霊塔が見えてきました。
それらはほとんどが有名企業などの慰霊塔で、それぞれのオリジナリティあふれる意匠で作られ、
ユニークで印象に残る塔がズラリと並んでいました。

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そして裏参道をさらに進んでいくと一の橋からの表参道との合流地点があり、
その辺りからは有名な戦国武将のお墓が何百何千と立ち並んでいて、墓前に書かれた
立て札を見ると思わず立ち止まって見入ってしまうほどの存在感を放っていました。

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さらに進んで御廟橋の前にたどり着くと、儀式として渡る前に服装を正して脱帽一礼し、
いよいよ御廟へと続く聖域(撮影禁止エリア)に入っていきます。

まず最初に灯籠堂と呼ばれる大きな建物内に入ると、この日の為にあらかじめ用意しておいた
納め札とお賽銭を入れて、静かに般若心経を読み上げました。

それが終わると次に灯籠堂内の左奥から外に出て、時計回りに灯籠堂の真裏に歩いていくと、
高野山の最終目的地である弘法大師御廟に着きました。

ここでも先ほどと同じく納め札とお賽銭を入れて般若心経を読み上げて、
お遍路参りの旅の無事を守って頂いた弘法大師さまへのお礼と満願報告をしました。

通常はそこで終わる所ですが、灯籠堂をさらに時計回りに進むと灯籠堂の右側面に地下に下りる
階段があるのでそこを進んでいきます。

薄暗い地下室を進んだ再奥部には弘法大師さまに一番近づけるとされる祭壇があるので、
ここで最後の納経をして全ての御礼参りを終了し、無事に満願成就となりました。

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帰りの御廟橋までの道筋は弘法大師さまがお見送りしてくださると言われているので、
御廟橋の前で振り返って合掌礼拝し、最後の納経所へと向かいました。

納経帳の最後のページに奥の院の御朱印を書き記されていく様子を見つめながら、
これまで約3年をかけて一つずつ積み重ねてきた旅を思い返し、グッと胸が熱くなりました。

これで2016年7月16日に始めたお遍路は高野山にて完結を迎えました!

お遍路参りをやってみて良かった事は、札所を廻っている最中は全てを忘れて無心になれること。
また、自分と向き合うことが出来ることだと思います。

お寺を巡り、見知らぬ人に出会い、手を合わせていると清々しい気持ちになれます。

生きられることに感謝して、生きることを純粋に楽しむ。

これ以上の幸せはありません。

どうやらお四国病と言われる結願するとまた行きたくなってしまう病にかかったみたいなので、
これからもライフワークとしてお遍路参りを出来る限り継続していくつもりです。

あらためて人のご縁とお導きに感謝します!

お遍路、リスタート!...結願の日。

令和元年 五月五日。

新元号『令和』になって初めてとなるお遍路がついに最終日を迎え、
足掛け三年に渡るお遍路の旅もいよいよクライマックスが近づいてきました。

前回、頑張って2日間で25箇所も廻れた事で残る札所は10箇所となっていました。

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★白峰宮(旧・崇徳天皇社)

この日の始まりは香川県坂出市にある第七十九番札所 天皇寺(てんのうじ)。
その名の通り崇徳天皇にゆかりがある寺で、その昔には崇徳天皇社が隣接し、
現在は白峰宮(しらみねぐう)と呼ばれる神社となっていますが、
かつて摩尼珠院 妙成就寺(まにしゅいん みょうじょうじゅじ)と呼ばれた当寺も
いつしか天皇寺と呼ばれるようになりました。

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★第七十九番札所 天皇寺

午前6時半に天皇寺に到着し、清々しい朝の静けさの中で最終日の無事を祈願しました。

この日もいつものように淡々と巡礼をこなしながら、札所の番号が一つずつ増える度に
まるでカウントダウンをしているような感覚でお参りを重ねていきました。

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★第八十八番札所 大窪寺(結願所)

そしてついに第八十八番札所 大窪寺(おおくぼじ)に到着したのは
時計がちょうど15時を指した頃でした。

壮大で立派な仁王門を見上げて『大窪寺』という文字を見た時には、
思わず熱いものが込み上げてきました。

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★大窪寺・本堂

本堂と大師堂では名残惜しさを感じながらも最後のお勤めを噛みしめるように、
今まで以上にゆっくり丁寧に読経しました。

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★最後を締めくくる納経所

全てのお勤めが終わると88番目の御朱印を頂くべく納経所へ赴いて、
納経帳の最後のページが達筆で埋められていく様子を見届けました。

さらに、結願達成したという事で『結願証明書』という終了証も書いて頂きました。

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★結願証明書

歩き遍路ではない車でのお遍路でしたが、自分の力で八十八箇所を廻りきった事は、
何とも言えない充実感と大きな自信を手に入れたような気がします。

今回のお遍路リスタート旅は自分の人生を見つめ直す上で大きな糧となりました。

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★お遍路さんの結願を見守る弘法大師像

結願達成した後にやるべき事は弘法大師さまのいらっしゃる高野山へ出向き、
お遍路旅の結願報告を兼ねて御礼参りに行くつもりです。

お遍路、リスタート!...六日目。

★お遍路参り再始動〜6日目(香川県突入編)

4月21日(日)、前日にひき続き朝早くに出発して1時間半かけて向かったのは
愛媛県最後の札所がある四国中央市でした。

今回は四国中央市の第六十五番札所 三角寺(さんかくじ)からのスタートとなります。
お遍路も残り24箇寺となり、この日のプランは行ける所までたくさん廻る事でした。

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★第六十五番札所 三角寺・山門

三角山の中腹に大きい駐車場が見えてきたので早速そこに停めると、
目の前に長い石階段が有り、そこを上がった所が三角寺の境内でした。

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★三角寺・境内

そこは想像していたよりもコンパクトで庭もとても綺麗に手入れされていて、
四季の移り変わりを楽しめそうなお寺でした。

この日も旅の無事を祈願して最初のお勤め(献灯、献香、読経)が終わると、
いよいよ最終エリアとなる香川県へと突入しました。

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★雲辺寺ロープウェイ

45分ほど下道を車で走り到着したのは、雲辺寺ロープウェイ山麓駅(標高260m)。
ここは香川県観音寺市から登った雲辺寺山(標高927m)の中腹にあります。

ここでロープウェイに乗り、山頂まで2594mの道のりを約7分ほどで登っていきます。
目指すは山頂駅(標高917m)から徒歩10分の場所にある第六十六番札所 雲辺寺(うんぺんじ)です。

雲辺寺は香川県最初の札所なんですが、実は山頂の雲辺寺の所在地は徳島県三好市であり、
本来は徳島県(阿波)の札所であるところを香川県(讃岐)の札所として扱われています。

また山頂にはスキー場(スノーパーク雲辺寺)も隣接していて、スキー、スノーボード、
更にはパラグライダーも出来るようです。

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★五百羅漢の石像群

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★第六十六番札所 雲辺寺・山門

山頂駅から少しばかり下っていくと五百羅漢と呼ばれる石像群がたくさん見えてきて、
更に進むと雲辺寺の真新しい仁王門が見えてきました。
この雲辺寺は本堂も含めてほとんどの建物が新しく、全体的に古さを感じさせないお寺です。

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★千手観音像(石像)

本堂には千手観音像が鎮座していて、それが青く光って幻想的な雰囲気を醸し出していました。

雲辺寺のようにロープウェイの移動は第二十一番札所 太龍寺(徳島県)に続き二度目でしたが、
たまにはこういう事も観光的に楽しめるので、これもお遍路の醍醐味かなと思います。

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★第六十八番札所 神恵院・本堂(コンクリート造り)

さて、この日のお遍路プランとしては最終日の負担を軽くするために、
出来るだけたくさんの札所を廻りたいと考えていましたが、
香川県の札所もそれぞれが近い所で固まっており、中でも究極的に近かったのが
第六十ハ番札所 神恵院(じんねいん)と第六十九番札所 観音寺(かんのんじ)でした。

その距離はなんと、わずか徒歩30秒。

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★第六十九番札所 観音寺・山門

ここは八十八箇所の中でもとても珍しい、同じ境内に二つの札所があるという所で、
それぞれ二つずつの本堂と大師堂がある、お遍路さんにとっても有難い場所でした。
ちなみに納経所は一箇所で、二つ分の御朱印をまとめて書いて頂きました。

お遍路は快調に進み、65番 三角寺→66番 雲辺寺→67番 大興寺→68番 神恵院→69番 観音寺
→70番 本山寺→71番 弥谷寺→72番 曼陀羅寺→73番 出釈迦寺→74番 甲山寺→75番 善通寺
→76番 金倉寺→77番 道隆寺→78番 郷照寺までの全14箇寺を廻りきりました。

しかも最後の78番 郷照寺は納経終了時間5分前に到着して急いで納経所に滑り込み、
何よりも先に御朱印を頂くという裏技を使って事なきを得ました。
もちろんその後にはゆっくりと本堂と大師堂で念入りに読経をさせて頂きました。

この二日間(4/20〜21)で25箇寺を廻り、結願達成まで10箇寺を残すのみとなりました。
次回はお遍路参りの集大成! いよいよ結願を迎えます!

7日目(最終日)に続く...

お遍路、リスタート!...五日目。

★お遍路参り再始動〜5日目(今治〜西条編)

前回のお遍路から約1ヶ月ほど経った4月20日(土)
自宅をまだ薄暗い早朝に出発して午前7時に到着したのは今治市のお寺でした。

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★第五十四番札所 延命寺

ここは第五十四番札所 延命寺(えんめいじ)という札所で、
なんだか長生き出来そうな名前のお寺です。

この日からエリアを東予に移し、今治市から西条市にかけて11箇寺を廻ります。

お遍路札所の納経所(御朱印を頂く所)の納経時間は全て共通ではないものの、
大体が午前7時〜午後17時までとなっているので、納経開始に間に合うように駆けつけました。

延命寺ではお遍路参りの開始にあたり、遍路旅の無事を祈願しました。

今治市では前回の松山市に比べて札所が6箇所(54番〜59番)と少ないのですが、
六つの札所が近距離でまとまっているので松山と同様にサクサクと廻れました。

★第五十八番札所 仙遊寺山門(左下) 境内に続く参道(右下)
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★弘法大師像(左上) 仙遊寺本堂(右上)

この中で唯一、山の中腹・標高312mの高さにあったのが第五十八番札所 仙遊寺(せんゆうじ)で、
本来は車で境内の裏まで行けるのですが、寺のずっと下には立派な仁王門が建っていて、
ちょっと歩いてみたいなという興味から仁王門前に車を停め、自力で登ってみることにしました。
まさか後で死ぬほど後悔することになろうとは思いもしませんでしたが。

仁王門をくぐると最初は平坦な参道をスタスタと歩いて行けたのですが、
しばらくすると大きな天然の岩がむき出しになっていて、
さらにそこを登っていくと階段がずらりと上まで伸びているのが見えてきました。

その勾配のキツさと石段の数に『やめておけば良かった』と後悔したのは言うまでもありません。

ゼイゼイと息を切らして途中で何度も休みながらもなんとか登りきり、
境内の弘法大師像を目にした時にはものすごい達成感がありました。

その代償として午前中のエネルギーを使い切ってしまうほど疲れました。

次の第五十九番 国分寺(こくぶんじ)は街中にある平坦な場所だったのでとても助かりました。

今治最後の札所 国分寺の参拝を終えたのが午前10時半。
快調なペースで今治市の6箇所を終え、次はいよいよ西条市に突入となりました。

西条市への移動中、コンビニで早めの昼食を摂って失われたエネルギー補給をして、
愛媛の最大難所と言われる第六十番札所 横峰寺(よこみねじ)へと向かいました。

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★横峰寺行き参拝バス乗り場

横峰寺は標高745mの高さにあって山中の林道を車で行けるのですが、
道幅が狭くて勾配もキツく、途中からは私道を通る為に通行料(往復1850円)が発生します。
それとほぼ同じ料金である横峰寺行き参拝バス(往復1750円)に乗り換えた方が楽というのもあり、
バス乗り場に車を停めて参拝バスを利用する事にしました。

そしてバスに揺られながら間近に見える険しいガケや車一台分の道幅しかない狭い林道を見て、
自力で来なくて良かったとつくづく思いました。

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★横峰寺駐車場に咲く桜

20分ほど揺られてようやく着いた時には開放的な駐車場の広さと見晴らしの良い絶景ポイントに
安堵しながら、まだ桜が咲いている絶好の景色をしばらく堪能していました。

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★第六十番札所 横峰寺

そこからは徒歩で山の中の遍路道を10分ほど歩き、ようやく横峰寺の姿を拝む事が出来ました。
苦労して来た甲斐があって、横峰寺は四国で二番目の高さと山奥にあるとは思えないほどの
立派な建物がずらりと並んでいました。

車→バス→徒歩を経て、横峰寺にかかった参拝時間は移動も含めて1時間半超が経過していました。

再びふもとの西条市に戻ると、残りの61番から64番までをスピーディーに廻り、
西条市の5箇寺を終えて16時過ぎにはお遍路を終了し、キリの良い所で帰路に就きました。

6日目に続く...

お遍路、リスタート!...四日目。

★お遍路参り再始動〜4日目(松山編)

3月16日、前日に続いてのお遍路参りは松山市内の八箇所を廻るものとなりました。

松山市中心部から約半径10km以内にある各札所は自宅からも行きやすく、
それぞれの札所の距離間も近いので時間的にも気分的にも余裕があり、
ボーナスステージのようなお遍路になりました。

2019061416302454e.jpeg★第四十六番札所 浄瑠璃寺(じょうるりじ)本堂

最初に訪れたのは第四十六番札所 浄瑠璃寺(じょうるりじ)。
早朝8時に到着しましたが、こじんまりとして静まり返っている境内には
まるで人の気配がなく、もしかして一番乗りかな?と思った矢先、
本堂の方からかすかに読経を読み上げる声が聴こえてきました。

その声の主達は上下白装束に身を包んだ御夫婦のお遍路さんでした。

本堂に向かい軽くご挨拶を済ませると、自分もすぐさまいつものようにロウソクと線香を上げ、
お賽銭と納め札を納めて般若心経を読み上げていきました。
人が少ないのもあってとてもスムーズに作業が進み、わずか十数分で早々と御朱印を頂くと、
脇目も振らずに次の札所へと向かいました。

次の札所は車で5分程の距離にあり、その次の札所はいつも通勤で走る道路沿いにあったり、
またその次の札所も何度も近くを通りかかった事があるなどして位置関係も把握していたので、
札所間の移動はとてもスムーズでお遍路参りはサクサクと快調に進んでいきました。

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★石手寺/仁王門(国宝)

そして松山市内の八箇所の中で最大の境内と観光客もたくさん訪れる札所というのが
道後温泉からも近い、第五十一番札所 石手寺(いしてじ)です。

このお寺はお遍路の元祖と言われる『衛門三郎』という人物ゆかりの寺で、
元々は安養寺というお寺だったのが、千年以上前のある時に領主が子供の祈祷を行ったところ、
子供の握っている手から『衛門三郎再生』と書かれた小石が出てきたという不思議な逸話から
『石手寺』に改められたという伝説があります。

また、境内の中にそびえ立つ三重塔や国宝の仁王門、鎌倉時代に建てられた本堂など、
素晴らしい重要文化財の数々を間近に拝見する事が出来ます。
また太子堂の壁には地元の俳人 正岡子規や夏目漱石などの文化人の落書きも残っていたようです。
(現在は塗りつぶされている)

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★石手寺/三重塔(重要文化財)

この石手寺は興味深いものがたくさん有り過ぎるので、
また時間の余裕がある時に再度ゆっくりと参拝してみたいと思います。

この日は46番 浄瑠璃寺→47番 八坂寺→48番 西林寺→49番 浄土寺→50番 繁多寺→51番 石手寺→52番 太山寺→53番 圓明寺を順番通りに廻り、松山のお遍路参りを無事に終えました。

5日目に続く...

☆ プロフィール

KAHTUNE

★KAHTUNE★
愛媛県在住のカツーンです。
マルファン症候群です。
4回の大動脈手術で、人工弁と人工血管に全置換しています。

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