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お遍路、リスタート!...四日目。

★お遍路参り再始動〜4日目(松山編)

3月16日、前日に続いてのお遍路参りは松山市内の八箇所を廻るものとなりました。

松山市中心部から約半径10km以内にある各札所は自宅からも行きやすく、
それぞれの札所の距離間も近いので時間的にも気分的にも余裕があり、
ボーナスステージのようなお遍路になりました。

2019061416302454e.jpeg★第四十六番札所 浄瑠璃寺(じょうるりじ)本堂

最初に訪れたのは第四十六番札所 浄瑠璃寺(じょうるりじ)。
早朝8時に到着しましたが、こじんまりとして静まり返っている境内には
まるで人の気配がなく、もしかして一番乗りかな?と思った矢先、
本堂の方からかすかに読経を読み上げる声が聴こえてきました。

その声の主達は上下白装束に身を包んだ御夫婦のお遍路さんでした。

本堂に向かい軽くご挨拶を済ませると、自分もすぐさまいつものようにロウソクと線香を上げ、
お賽銭と納め札を納めて般若心経を読み上げていきました。
人が少ないのもあってとてもスムーズに作業が進み、わずか十数分で早々と御朱印を頂くと、
脇目も振らずに次の札所へと向かいました。

次の札所は車で5分程の距離にあり、その次の札所はいつも通勤で走る道路沿いにあったり、
またその次の札所も何度も近くを通りかかった事があるなどして位置関係も把握していたので、
札所間の移動はとてもスムーズでお遍路参りはサクサクと快調に進んでいきました。

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★石手寺/仁王門(国宝)

そして松山市内の八箇所の中で最大の境内と観光客もたくさん訪れる札所というのが
道後温泉からも近い、第五十一番札所 石手寺(いしてじ)です。

このお寺はお遍路の元祖と言われる『衛門三郎』という人物ゆかりの寺で、
元々は安養寺というお寺だったのが、千年以上前のある時に領主が子供の祈祷を行ったところ、
子供の握っている手から『衛門三郎再生』と書かれた小石が出てきたという不思議な逸話から
『石手寺』に改められたという伝説があります。

また、境内の中にそびえ立つ三重塔や国宝の仁王門、鎌倉時代に建てられた本堂など、
素晴らしい重要文化財の数々を間近に拝見する事が出来ます。
また太子堂の壁には地元の俳人 正岡子規や夏目漱石などの文化人の落書きも残っていたようです。
(現在は塗りつぶされている)

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★石手寺/三重塔(重要文化財)

この石手寺は興味深いものがたくさん有り過ぎるので、
また時間の余裕がある時に再度ゆっくりと参拝してみたいと思います。

この日は46番 浄瑠璃寺→47番 八坂寺→48番 西林寺→49番 浄土寺→50番 繁多寺→51番 石手寺→52番 太山寺→53番 圓明寺を順番通りに廻り、松山のお遍路参りを無事に終えました。

5日目に続く...

お遍路、リスタート!... 三日目。

★お遍路参り再始動〜3日目(3月15日)

この日は午前中にかかりつけの外来受診があったので、お遍路参りは午後からのスタートという事で二ヶ所だけの区切り打ちとなりました。

その二ヶ所とは愛媛県の久万高原町に属し、八十八箇所の中で標高が4番目(45番岩屋寺・585m)と5番目(44番大寶寺・560m)の高さにあって、いわゆる難所と言われている二つの札所でした。

201905311505124a6.jpeg★岩屋寺の仁王門(難所への入り口)

まず最初に遠い方の札所を目指して車を走らせ、約1時間ほどで到着しました。
第四十五番札所 岩屋寺(いわやじ)には車では近づけないので、ふもとの駐車場に車を停めて、
そこから急な石階段や遍路道を20分ほど自力で歩いて登っていくと大きな岩肌の真横にそそり立つ本堂が見えてきました。

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★第四十五番札所 岩屋寺(左・本堂/右・納経所)

まさしく難所と言われるだけあって、たどり着いた頃には肩で大きくゼイゼイと言いながら、
息を切らして座り込むほどのしんどさでした。

この岩屋寺は山の中に隠れていて、その道中も森に囲まれた中に弘法大師像があったり、
お地蔵様がたくさん並んでいたり、神秘的な雰囲気を醸し出していて山全体をご本尊とした
山岳霊場でもあるようです。

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★森の中の弘法大師像と無数のお地蔵様

本堂と大師堂ではいつものように灯明と線香を立てて読経を唱え、納経所で御朱印を頂いて、
来た道を戻ろうとした時、ここで思わぬ出来事に遭遇しました。

それはお遍路の白装束に身を包んだ二人の男女とそれを囲むグループが居たのですが、
その中の男性の顔に見覚えがあり、よく見ると間違いなく片岡鶴太郎さんでした。

まさかこんな場所でと驚きましたが、どうやらテレビ番組のロケで来ているらしく、
お連れの女性はナタリー・エモンズさんという日本で芸能活動されているアメリカ人女性でした。
この時は全然知らなかったのですが、後で調べてみるとトリバゴのCMに出てる方のようです。
とても美人な方で白装束のお遍路さん姿に思わず二度見してしまいました。

片岡鶴太郎さんとはすれ違う際に挨拶程度の会話をさせてもらったのですが、
『道中お気をつけてください』と心優しいお言葉をかけていただきました。

急坂を下りながら、『一緒に写真撮ってもらえば良かったな〜』と少し後ろ髪引かれながら、
次の目的地の第四十四番札所 大寶寺(だいほうじ)に向かいました。

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★第四十四番札所 大寶寺(仁王門・本堂・太子堂・森の中の境内)

この大寶寺も岩屋寺と同じく森の中にあり、駐車場から参道を少し歩いた先には仁王門が見えて、
境内に進むと人も少なく、岩屋寺とは打って変わって独特な静けさの中にある寺院でした。

こちらではふとしたきっかけで他のお遍路さんと話す機会があり、お話を伺ってみると
高野山のある和歌山から来られているとの事でした。

こんな山奥のひっそりとした寺院にこうして全国各地からたくさんのお遍路さんが訪れるのも、
お遍路の札所ゆえの事なんだなと改めて実感させられました。

そして自分は四国が地元で本当に良かったなとつくづく思いました。

この日はこの二ヶ所のお参りでお遍路を終了しました。

4日目に続く...

新元号を迎えて思うこと

とうとう『令和』を迎えた。

その結果、世間で言われるところの平成ジャンプもしたけれど、そんな事はどうでもいい。

新元号を迎えるまで生きて来られた事が奇跡的だし、何よりも嬉しい。

突然の大動脈解離で生死をさまよってから12年...。

運良く生き残ったものの、絶望的にすら思えたその後の人生は、

案外、何とかなっているし、干支も一回りした。

頑張って生きていて良かったと心の底から思う。

行きたい所に出かけて、たくさんの新しい人と知り会えて、

好きな事を好きなだけ出来る事がとても楽しい!

考え方や見方を変えれば住む世界は変わる。

こうなったら次の元号まで生きて、まだ見ぬ未来の世界を見届けてみたい。

自分が築いた家族に囲まれた人生を生きてみたかったけれど、

ひとりで生きる人生も楽しいし、悪くはない。

自分の気の持ちようでどうにでも変えていけるし、

どちらの世界を生きても幸せになれると信じている。

新時代をまた一歩ずつ歩いていくのみ。

令和も楽しんで生きまっしょい!

お遍路、リスタート!... 二日目。

★お遍路参り再始動〜2日目(3月10日)

高知滞在2日目、前日のライブの興奮覚めやらぬ中、
宿泊先のホテルで早起きして朝食をいただきながら、
お遍路マップを片手に寺院をどの順番で廻るかを考えていました。

この日に訪れるのは第31番〜第37番までの7箇所のみ。
それらを廻れば高知県の札所は全て完了となります。

その後は松山に帰るだけなので午前8時の納経開始時間に間に合うように
7時過ぎにはホテルを後にして、まず最初に第三十一番札所 竹林寺を目指しました。

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★第三十一番札所 竹林寺(ちくりんじ)

少し小雨混じりの天気の中、最初の札所の竹林寺はちょっとした山の頂上にありました。
前日に6箇所の寺院を廻ったおかげで、お参りの順序も読経もスムーズに終わり、
納経所に赴くとちょうど住職さんが納経開始の準備をしているところで、
タイミングもバッチリでした。

でもそこには一人だけ先客がおられたのですが、その方はお遍路ツアー客のガイドさんで
『お先にどうぞ』と言って頂き、有り難くそのご厚意に甘えました。
住職さんがサラサラと達筆で筆を走らせている御朱印を眺めながら、
意識はすでに次の寺院へのアプローチを考えていました。

第32番札所〜第36番札所までは高知市内とその周辺に集中してまとまっているので、
札所間の距離も近くて、ボーナスステージのようにサクサク廻れます。

2日目のお遍路参りは前日の逆打ち(88→1の順に廻る)と違って順番通りに廻りました。
基本的にお遍路は時計回りに札所があるので、高知から愛媛に向かうというのは
方向的に順番通りに廻ること(1→88順打ち)になります。

こういう風に順番通りではなく、臨機応変に順不同で廻る事を乱れ打ちと言われています。

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第三十七番札所 岩本寺(いわもとじ)

そして残り1箇所となった第三十七番札所・岩本寺は四万十町という
高知市から遠く離れた距離にあり、また自分の実家に向けての帰り道の道中にあるので、
前日に廻らずにあえて残していた札所でした。

この寺院に着いた時には14時過ぎで参拝が終わったのは14時半頃、
自宅に帰るのもちょうど良い頃合いでした。

こうして2日間かけて第31番から第43番までの13箇寺を廻ったわけですが、
約2年半ぶりのお遍路再開は最初と違って格別な思いがありました。

そして今回は一人旅。

お遍路で各寺院を廻ったおかげで、いろいろな思いを断ち切りながら
吹っ切れたような気がします。

3日目に続く...


お遍路、リスタート!... 一日目。

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★お遍路参り再始動〜1日目(3月9日)

3月9日、2年5ヶ月ぶりに中断していたお遍路を再開しました。

約2年半前の2016年7月15日に人生初のお遍路参りをスタートして、
10月16日、高知市にある第三十番札所 善楽寺(高知県高知市)を
お参りしたところで一旦中断し、その後長い休止期間となっていました。

今回、再開するに至ったのは、行きたかったアーティストのライブチケットが抽選で取れて
ライブ会場も高知市の中心部にあるという事からお遍路の再開を思い付き、
この機会を有効に活用しない手はないという事で、
ライブ遠征にお遍路参りを組み込むプランを考えました。

ライブは3月9日(土)の18時開始だったので、ライブ開始時間までに間に合うように
地元の第四十三番札所・明石寺(愛媛県西予市)から逆に廻る事(逆打ち)を決めて、
高知市に向かう旅の道中で効率よく消化していく作戦に出ました。

20190425162714815.jpeg★第四十三番札所 明石寺(めいせきじ)

当日は早朝6時半に家を出発して7時半には明石寺に到着し、
約2年半ぶりにお遍路参りの続きをリスタートしました。

意気揚々とリスタートしたのは良かったのですが、何しろ久しぶりの寺院参拝という事で、
お参りの手順や作法などもすっかり忘れてしまっていて、いろいろと手間取ったりもしました。

それでもお寺を二つ三つと廻っていくうちに徐々に思い出していき、
そして一番重要な般若心経の読経については所々つっかえたりしながら、
スラスラ読み上げるようになるまでには、かなりの読経回数を必要としました。

2019042516293285f.jpeg★第三十八番札所 金剛福寺(こんごうふくじ)

1日目は第三十八番札所 金剛福寺(高知県土佐清水市)までを廻ったのですが、
実はこの金剛福寺というのが四国最南端の足摺岬にあって、
第三十九番札所 延光寺(高知県宿毛市)からは1時間以上かかります。

この寺院でお遍路参りを切り上げて高知市のライブ会場へと向かう頃には、
時計が15時半を回っていて、ナビの示す残距離もおよそ120kmという事に気付き、
『これはギリギリヤバいかも』と焦りながら、とたんに慌ただしくなりました。

急いで車に乗り込むと、とにかく高知市を目指すしかないとばかりに
通ってきた道を引き返しながら、ライブ会場を目指してひたすら車を走らせました。

ナビでの到着予測時間が180分と表示され、ライブ開始時間の18時頃の予測でしたが、
道中でうまい具合にバイパスに乗れたり、高速道路にもスムーズに合流できたので、
結局17時45分頃になんとか到着することが出来、ライブ直前に滑り込む事が出来ました。

ギリギリ攻めた結果、ヒヤヒヤ物の1日でした。

2日目に続く...

人生初のステージデビュー!

建国記念日の前日、東温市にあるシアターNESTという小劇場で
人生初のステージに立ち、入場料を払ってくれた観客の前で初めて歌いました。

このイベントは自分が通っているボイストレーニング教室の生徒達と、
別のボイトレグループの共同での歌のコンテストがそれぞれの先生達によって企画され、
生徒達の日頃の練習の成果を披露する絶好の舞台となりました。

自分がボイストレーニングを始めたのは昨年6月からですが、
観客の前で歌を披露するのは今回で2度目になります。
その1度目というのがつい最近のこと、
先月末にライブバーで生バンドをバックにして歌った生オケライブでした。

生オケライブは演奏がカラオケの機械ではなく、実際のバンド演奏に合わせて歌う事を指します。
つまり、本物の歌手の方達が歌っている演奏方式です。

初めて観客の前で歌った時は気持ちの焦りもあってか、
生演奏のリズムに歌声を合わせるのがとても難しかったのですが、
リハーサルで2曲を通しで歌って少し慣れてくると、
演奏に合わせられるようになり、歌うのがだんだん楽しくなって、
まるで歌手になったような気分が味わえてとても心地良い時間でした。

この時の選曲はカラオケで歌い慣れている猿岩石『白い雲のように』と
一青窈『ハナミズキ』の2曲を歌いました。

そもそもなぜボイストレーニングを始めたのかというと、
まず自分は11年前の初めての大動脈手術の際に後遺症で反回神経マヒ(声帯マヒ)になり、
それまでの自分の声を失うという症状がありました。

もちろん全然声を出せないわけではありませんでしたが、声帯の片側が神経マヒで動かなくなり、
その事によって声帯同士をくっつけたり離したりして震わせる動きが難しくなって、
発声するにしてもとても弱々しく言葉にならないかすれ声しか出せなくなってしまいました。

これは非常に聞き取りにくい声なので騒がしい場所では全く相手に伝わりませんでしたし、
声帯手術に踏み切るまでの約4年半は歌うどころか日常生活にも不自由を生じて、
人との会話は憂うつで常にプレッシャーとストレスを抱えながらの毎日を過ごす事になりました。

全ての大動脈手術が終わったところで一念発起して声帯手術を行ってからは
以前のように普通に話せるようになりましたが、カラオケで歌う事に関しては
まだまだ昔の声にはほど遠く、決して満足のいくものではありませんでした。

声帯手術では部分麻酔で声を出しながら調整して行う術式だったのですが、
なかなか思うような声には調整出来ず、ある程度のところで妥協せざるを得ませんでした。

それでも歌う事自体はとても好きだったし、
主治医からも『カラオケで歌う事はリハビリになるからたくさん歌うように』と言われていたので
決して満足できる歌声ではないけど、歌えるようにはなれたから良しとしようと考えていました。

そして昨年の事、SNSで偶然目にしたボイストレーニング教室の募集が目に留まり、
『これだっ!』と飛びついて応募してから現在に至ります。

肝心の歌のコンテスト本番についてですが、
選曲は大動脈解離の時に入院中のベッドでずっと聴いていた思い入れの強い曲、
AIさんの『story 』を歌いました。

本番の日を迎えるまでに先生にも指導を仰ぎながら毎日ずっと練習してきて
万全の体制で挑みましたが、やはりスポットライトを浴びた瞬間に、
頭の中が真っ白になってしまうほどの極度の緊張状態に陥りました。
用意した歌詞カードも全然見えなくて、焦りから歌詞が飛んでしまったり逆になったり、
目指してきたパフォーマンスとしてはほど遠い、最悪の出来でした。

それでも何とか歌い終えた時には何だか分からないけれど、
声が出せなくて歌えなかった頃の事を思い出して、達成感のようなものを感じて
いろんな感情が入り混じった安堵感に包まれていました。

今までの自分からは想像もできなかった大きなチャレンジに飛び込んでみて、
それをキッカケに新しく出会った先生や仲間達との時間はとても楽しくて、
その交流がまた励みになって新しい自分を作りあげているのだと実感しています。

この初舞台では嫌というほど実力の無さを痛感したので、この悔しさを忘れずに練習を続けて
もっと上手く歌えるように努力していきたいと思っています。

人生初めてのステージは最高でした!


急性大動脈解離、たどり着いた12年

1月5日。

今日という日は自分にとって今でも忘れる事のできない日であり、
誕生日以上に身も心も刻印のように焼き付けられた日でした。

急性大動脈解離を発症してからちょうど12年。

あの日あの時、生死をさまよう中で運良く生き延びたものの、
全ての事柄に絶望し、生きる屍のように抜け殻になっていったあの頃。

干支が一回りして再び亥年のこの日を迎えられるとは想像も出来ませんでした。

12年という月日はとても長いように感じられるけれど、実はほんの一瞬の出来事のようで、
まるで昨日の事のようにハッキリと思い出されます。

もしマルファン症候群じゃなかったら、大動脈解離になっていなかったら、
どんな12年を送っていたのだろうか。

地元で大工を続けていたのだろうか。
結婚していたのだろうか。
自分の子供はいたのだろうかと、ふいに脳裏をよぎることがあります。

しかし、もうこれらの事柄は今となっては実現する事はありません。
(肉体労働や怪我はNG、結婚の可能性は薄く願望も無い、手術の後遺症で子供は授かれない)

それでも生き残るべく再びチャンスを与えられた者としては、生きていくしかない。

同じマルファン症候群でも身体に現れる症状やタイミング、深刻さは人それぞれに違います。
病気に対する悩みも同様です。

自分が絶望の淵から少しずつ立ち上がって歩いて来られたのは、病気知らずで健康であったなら、
知り合う事も出来なかった数多くの人たちとの出会いでした。

もしこの出会いがなかったら、自分はこの世に生きていなかったのかもしれません。

生と死は紙一重で浮上するのも沈むのも表裏一体であり、
どちらに転ぶのかはほんのわずかな差とキッカケに過ぎません。

不謹慎かもしれないけれど、自分は病気になって良かったと考えています。

病気にならなければ、生死をさまよわなければ、絶望を味わなければ、
その当事者の気持ちも、当たり前のことが当たり前にできる幸せを感じる事も、
あらゆる物事に感謝して生きる事の大切さに気付く事さえも出来ませんでした。

人生を楽しんで生きられるというのは本当に幸せな事だと思うし、
そこにたどり着くのは簡単な事ではありません。

何を持って人生が楽しいと感じるのか、その答えは人によって様々であり、
一生気付く事なく人生を終える人もいるでしょう。

今、いろんな病気で悩みを抱えている方は全国にたくさんいらっしゃいます。

外見で分かる方もいれば、見た目は健康的に見えるけれど実は病気を抱えている方など、
その事情は本当に様々です。

生き続けるという事はある人にとっては残酷でとても辛い事かもしれません。

辛い事がある時や追い込まれている時に前を向いて生きるのは大変勇気が要ります。

それでも生き続けなければならないのであれば、自分は何をすれば楽しく生きられるのかを
真剣に考える必要があります。

最初はちょっとした幸せを見つける事から始めても良いと思います。

何か食べたいものがあるとか、見たいものがあるとか、やってみたい事があるとか。
様々な事に興味を持っていろんな人に出会い、小さな幸せと元気を少しずつ分けてもらう事で、
いつか人生が心底楽しいと思えるような日がやって来るのを信じて前向きに生きてみましょう!

自分がたどってきた12年とは大体こんな感じです!

今は本当にいろんな人と出会って、新しく交流できる事が楽しくてしかたありません!

生きてて本当に良かったし、生きられる事に感謝しかありません!

また一歩一歩、楽しい事に目を向けながら前に歩いて行きたいと思います!


謹賀新年!

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新年明けましておめでとうございます✨ヽ(´∀`*)

     ∧_∧
 /\( ・∀・)/ヽ
( ● と   つ ● )
 \/⊂、   ノ \ノ
     し’


本年もカツーンブログをどうぞ宜しくお願い致します✨

2019年が皆様にとって、より良い年になります事をお祈り申し上げます🙇‍♂️


カツーン

20190103075919375.jpeg 2019年お雑煮・亥年version(紅白もち、蒲鉾、タケノコ、三つ葉、里芋、大根、金時人参、平茸)


☆ プロフィール

KAHTUNE

★KAHTUNE★
愛媛県在住のカツーンです。
マルファン症候群です。
4回の大動脈手術で、人工弁と人工血管に全置換しています。

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