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急性大動脈解離、たどり着いた12年

1月5日。

今日という日は自分にとって今でも忘れる事のできない日であり、
誕生日以上に身も心も刻印のように焼き付けられた日でした。

急性大動脈解離を発症してからちょうど12年。

あの日あの時、生死をさまよう中で運良く生き延びたものの、
全ての事柄に絶望し、生きる屍のように抜け殻になっていったあの頃。

干支が一回りして再び亥年のこの日を迎えられるとは想像も出来ませんでした。

12年という月日はとても長いように感じられるけれど、実はほんの一瞬の出来事のようで、
まるで昨日の事のようにハッキリと思い出されます。

もしマルファン症候群じゃなかったら、大動脈解離になっていなかったら、
どんな12年を送っていたのだろうか。

地元で大工を続けていたのだろうか。
結婚していたのだろうか。
自分の子供はいたのだろうかと、ふいに脳裏をよぎることがあります。

しかし、もうこれらの事柄は今となっては実現する事はありません。
(肉体労働や怪我はNG、結婚の可能性は薄く願望も無い、手術の後遺症で子供は授かれない)

それでも生き残るべく再びチャンスを与えられた者としては、生きていくしかない。

同じマルファン症候群でも身体に現れる症状やタイミング、深刻さは人それぞれに違います。
病気に対する悩みも同様です。

自分が絶望の淵から少しずつ立ち上がって歩いて来られたのは、病気知らずで健康であったなら、
知り合う事も出来なかった数多くの人たちとの出会いでした。

もしこの出会いがなかったら、自分はこの世に生きていなかったのかもしれません。

生と死は紙一重で浮上するのも沈むのも表裏一体であり、
どちらに転ぶのかはほんのわずかな差とキッカケに過ぎません。

不謹慎かもしれないけれど、自分は病気になって良かったと考えています。

病気にならなければ、生死をさまよわなければ、絶望を味わなければ、
その当事者の気持ちも、当たり前のことが当たり前にできる幸せを感じる事も、
あらゆる物事に感謝して生きる事の大切さに気付く事さえも出来ませんでした。

人生を楽しんで生きられるというのは本当に幸せな事だと思うし、
そこにたどり着くのは簡単な事ではありません。

何を持って人生が楽しいと感じるのか、その答えは人によって様々であり、
一生気付く事なく人生を終える人もいるでしょう。

今、いろんな病気で悩みを抱えている方は全国にたくさんいらっしゃいます。

外見で分かる方もいれば、見た目は健康的に見えるけれど実は病気を抱えている方など、
その事情は本当に様々です。

生き続けるという事はある人にとっては残酷でとても辛い事かもしれません。

辛い事がある時や追い込まれている時に前を向いて生きるのは大変勇気が要ります。

それでも生き続けなければならないのであれば、自分は何をすれば楽しく生きられるのかを
真剣に考える必要があります。

最初はちょっとした幸せを見つける事から始めても良いと思います。

何か食べたいものがあるとか、見たいものがあるとか、やってみたい事があるとか。
様々な事に興味を持っていろんな人に出会い、小さな幸せと元気を少しずつ分けてもらう事で、
いつか人生が心底楽しいと思えるような日がやって来るのを信じて前向きに生きてみましょう!

自分がたどってきた12年とは大体こんな感じです!

今は本当にいろんな人と出会って、新しく交流できる事が楽しくてしかたありません!

生きてて本当に良かったし、生きられる事に感謝しかありません!

また一歩一歩、楽しい事に目を向けながら前に歩いて行きたいと思います!


謹賀新年!

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新年明けましておめでとうございます✨ヽ(´∀`*)

     ∧_∧
 /\( ・∀・)/ヽ
( ● と   つ ● )
 \/⊂、   ノ \ノ
     し’


本年もカツーンブログをどうぞ宜しくお願い致します✨

2019年が皆様にとって、より良い年になります事をお祈り申し上げます🙇‍♂️


カツーン

20190103075919375.jpeg 2019年お雑煮・亥年version(紅白もち、蒲鉾、タケノコ、三つ葉、里芋、大根、金時人参、平茸)


たくさんの出会いに感謝!

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今日で2018年もいよいよ最後の日となりました。

今年は自分にとってたくさんの素晴らしい出会いがありました!

地元愛媛では5月からボイトレを始めて知り合った先生や仲間たち。

全国ではマルファン仲間たちとの交流会を通じての新しい出会いがありました。

昨年のマルファン交流会は東京から始まりましたが、今年は同じく東京で新しいメンバーが増え、
西日本地域では新たな試みとして関西マルファン交流会を始動し、そのメンバーは岡山、大阪、
名古屋、岐阜、富山に至るまで広範囲に渡っての新しい参加者たちが一同に集結してくれました。

来年は関東と関西、それぞれの交流会メンバーをベースに
相互での合同交流会も開催してみようかなと考えています。

このような交流会ができるのも自分の考えに賛同して集まってくれた、
たくさんのマルファン仲間たちが協力してくれたおかげだと思っています。

自分にとって人脈とは財産であり、この上ない宝物であると断言出来ます!

この素晴らしい出会いが来年も継続して、また新たな交流に発展していくことを願いながら、
今年たくさんお世話になった方たちに、改めて御礼を申し上げます。

2018年、皆さんどうもありがとうございました!

カツーン🙇‍♂️

サンライズエクスプレスに乗って行きまっしょい!

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2018年12月20日、
念願のサンライズエクスプレスに乗車することが出来ました✨
先日の上京に伴ってのものでしたが、いつもは高速バスで向かうところを
今年最後を締めくくる関東旅行ということで奮発しました。

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サンライズエクスプレスへの乗車は始発の高松駅からではなく
松山駅18時40分発→坂出駅20時56分着の特急電車に乗って坂出駅で降り、
ホームで49分待機した後、坂出駅21時45分発のサンライズ瀬戸号に乗り込みました。

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サンライズエクスプレスは鉄道ファンなら誰もが知っている寝台列車です。
座席というものがなく、ほとんどがベッド付き(ソロ、シングル、シングルツイン、デラックス)
なので、ベッドに足を伸ばしてゆったりと寝られます。
自分の部屋は209号、二階のシングル部屋でした。
部屋もナンバーキーのロック付きで自分だけのプライベート空間が確保されています。

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最終地点・東京駅へ向かう上り便は出雲駅(島根県)から出発するサンライズ出雲号(7両)と
高松駅(香川県)から出発するサンライズ瀬戸号(7両)がそれぞれ出発し、岡山駅で合流。
そして出雲号と瀬戸号がドッキングしてひとつの14両編成となります。

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このドッキングの模様はどこからともなくカメラを持った鉄道ファンが集まってきて、
自分もサンライズ瀬戸号から急いで降りると、他の鉄道ファンに混じりながら
大興奮で写真撮影やら動画撮影などに勤しみました。

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結局、この日の為に用意していたプレミアムビールと食事を頂けたのは日付けが変わる直前で、
自分の部屋ではなく、ラウンジのカウンターで乗車を祝う祝杯をあげました。

外はそれなりに暗かったものの、流れる景色を眺めながらのビールは最高のひと時であり、
本当にサンライズに乗って良かったなぁとしみじみ思いました。

酒をちびちび飲んで感慨にふけっていたので寝たのは2時頃になってしまい、早朝7時到着なのに寝る時間が〜と、一瞬慌てましたが『濃霧の影響で遅れております』とアナウンスがあり、
到着時間が1時間伸びたのでグッスリ寝れました。

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熱海あたりでの太平洋を見渡す朝焼けがとても綺麗で、またまた感動してしまいました。

また、いつの日か乗車できるように頑張っていこうと思います。

次はデラックスが良いなぁ。。。


『銀河鉄道猫猫猫』と『たかぎぷりん』への感謝

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前回のブログでもご紹介した、マルファン仲間である『たかぎぷりん』が
劇団『さよならを言う練習』を立ち上げて主宰し、脚本、演出を手掛けた
8年ぶりの復帰作となる舞台演劇『銀河鉄道猫猫猫』を見届けるため、12月22日(土)、
池袋・木星劇場にもう一人のマルファン仲間と共に駆けつけました。

この日は12月20日(木)の初日公演から数えて3日目、4本目の公演でした。
劇場に入ると、自分たちが知っているいつもの『たかぎぷりん』とは別人の
雰囲気を醸し出した主宰者の顔がそこにありました。

自分たちは後方席に座りドリンクを飲みながら、初めての舞台観劇に少しドキドキしながらも、
演劇が始まるのを静かに待っていました。

まず最初に主宰の『たかぎぷりん』が冒頭の挨拶に立ち、観劇に関する注意事項などを説明し、
程なくして演劇『銀河鉄道猫猫猫』は暗闇の中から不意に登場する人物にライトアップされ、
静かに開演の幕が開きました。

それに続き、けたたましいサイレンの効果音と共に登場人物がゾロゾロと現れると、
舞台上は一気に賑やかさと序盤の盛り上がりへと移り変わっていきました。

自分の席からわずか2メートル程の距離で繰り広げられる演技者の生の肉声と細やかな動きに
魅了されてその迫力に圧倒されながらも、次第にその世界に引き込まれていきました。

『何これ〜。これが演劇というやつか。目の動きまで見えるし、みんな声がよく通るし。
動きも無駄がなくてスムーズで凄いな』これが初めて演劇を目にした第1印象でした。

40年以上も生きてきて、生の演劇というものを観たことがなかった自分にとっては、
初めての体験だったので、昔初めてコンサートを観に行った時のような興奮が一気に
よみがえってきて、身体中がゾワゾワしていくのを感じました。

それから中断もなくノンストップで進んで行く物語は、約1時間40分ほどでしたが、
ずっと集中力が途切れる事もなく、ずっと見続けていられました。

物語の内容についてはネタバラシになるので詳細を書くのは控えますが、
死にたがりの登場人物たちが死に向かう最中でさよなら行きの電車、
異次元空間の『銀河鉄道スリーニャイン号』に拾われます。
戸惑いの中で次々と乗り込んで来る死にたがりの乗客たちが各々の意見をぶつけ合い、
他の乗客たちの絶望に触れて葛藤しながらも、自分なりの答えを見い出し、
また新しい未来を選択していく。。そんなような物語でした。

これを観ていく中で各登場人物たちが明かしていくそれぞれのエピソードは、
自分が知っているものと重なっていて、それはまさしく『たかぎぷりん』の歴史そのものでした。

そのエピソードが全て同じというわけではないけれど、その中で散りばめられている出来事や
言葉のフレーズが『たかぎぷりん』の事を彷彿とさせるものである事がハッキリと分かりました。

これは自分達マルファン症候群の皆々が経験して抱いてきた苦悩や哀しみ、絶望感も重なります。

演劇については初観劇であるし詳しく知っているわけではないので、批評などは出来ませんが、
この『銀河鉄道猫猫猫』という作品を観て感じた感想を言うなら、まず『たかぎぷりん』本人が
自分と同じ病気によって母親を失い、彼女自身も急性大動脈解離によって生死をさまよった末に、
一命を取り留めたものの、舞台からの引退を余儀なくされてしまうという辛い歴史がありました。
その後、弟と父親、猫までもが連続して亡くなってしまうという数々の不幸な死に別れの場面に、
一人で直面してきた彼女が家族で唯一生き残った者として、亡くなった家族たちの事を思い出し、
最後のお別れを告げる場所がこの舞台であり、また亡くなっていった家族たちへの供養でも
あったのだと思います。

『あなたたちの事は忘れないよ。これからも私は生き続けていくよ』という決意表明のような
メッセージがこの作品に込められているのではないかなと思いました。

だから、『たかぎぷりん』がこの演劇にかける思いや、もう一度舞台に立ち上がろうとした彼女の
取り組みが、自分たちマルファン患者の心に響くものであった事は間違いないと思います。

自分も同じ病気で何度も死にかけ、死に直面してきた歴史があるので彼女がこの10年で辿ってきた
歴史には他人事とは思えないような痛みを感じて、自分の事も思い起こさせてくれました。

人は絶望すると死に引き寄せられてしまう。
全ての希望を失い、ドン底に落ちて這い上がれなくなった誰もが通る道だと思います。

生きることがとても辛くなる事は誰にも起こり得ることだけど、
それでも前を向いて生きて、歩いて行かなければならない。
生きられなかった者たちのことを忘れないために。

『たかぎぷりん』が身体を削り、心を削りながら命がけで作り上げたこの作品には、
いろんな魂の叫びが詰まっていて、『さよならを言う練習』という劇団の成り立ちを考えると、
『銀河鉄道猫猫猫』という作品は死と向き合うこと、
生き続けることへの渇望や道しるべが描かれているように思えます。

またそれは『たかぎぷりん』そのものであると思うので、他のマルファン仲間達、
そうではない他の病気と闘っているたくさんの人達にもぜひ観てもらいたい作品だと思いました。
またいつの日か再上演される事を強く希望したいと思います。

今回『たかぎぷりん』との関係性の中で初対面にもかかわらず、少しだけですが会話させて頂いた
演技者の皆さん達が素晴らしい演技によって全身全霊で伝えてくれたこと、友人『たかぎぷりん』
を支えてくれた事にあらためて深い感謝の意を申し上げます。

また『たかぎぷりん』の舞台でお会い出来ることがあれば幸いと存じ、
その時を楽しみにしています。

自分の呼びかけが功を成したか分かりませんが、マルファン仲間が2人も観劇してくれた事は
とても嬉しく思いましたし、これからもマルファン仲間として大切な友人として、
『たかぎぷりん』をずっと応援し続けていきたいと思っています。


『たかぎぷりん』へ、

一年間という長期に渡り、体調も万全でない中でよく頑張り抜きました。
完治する事のない病気と共存しながら、これだけの精度まで作品を作り上げていくのは
本当に大変だったと思うし、ただただ凄いとしか言いようがなく、尊敬するばかりです。

自分も勝手ながら応援していくうちに、この作品に引き込まれ、連日の満員御礼となった事を
とても嬉しく思うし、同時にたくさんの支援者が客席をほとんど全て埋めていただいた結果に
本当に良かったなと安堵しました。

次の作品の事もあると思いますが、今は家族とゆっくり静養しながらたくさんご飯食べて下さい。

一年間、本当におつかれ様でした。

素晴らしい演劇を作り上げ、自分たちに魅せてくれてありがとうございました!


全ては『たかぎぷりん』から始まった。。。(復活の舞台編)

再びたかぎぷりんさんのお話に戻します。

前編の冒頭でも書きましたが、劇団主宰であり演出家のたかぎぷりんさんは
演劇に関してのキャリアが30年近くになり、最初の劇団を立ち上げたのが17年前という事を
聞いています。そして大動脈解離を発病する前まで活動していて、
闘病期間中を含む約10年間は演劇の世界から遠く離れた生活を送っていたようです。
自分も演劇活動をしていない頃に知り合ったので、そんな経歴など全く知らずに普通に一児の
お母さんだと思っていました。

たかぎぷりんさんが演劇をやっていた頃の話を聞いたのが昨年のお茶会の時なので、
また新たに演劇をやりたいと思っているという話を聞いた時は、とても驚きました。
彼女の一番しんどい時を直接見てきた自分としては、そうやって昔彼女が一生懸命に
打ち込んできた舞台に再び立とうとしている事や、そこまでの気力を持つようになるまでに
復活出来た事をとても嬉しく思います。

そして、ご本人であるたかぎぷりんさんから直接のメッセージを頂きました!
以下に掲載させて頂きます。


★たかぎぷりんさんのメッセージ★

母親とその兄を大動脈解離で亡くし、自分が妊娠7ヶ月で倒れ、
ストレッチャーの上で『あなたは大動脈解離です』と告げられたとき、
わたしは、
全てが終わったな、と思いました。

一命を取り留めたあとも、
大動脈基部から下肢付け根まですべて解離したこと、
これから何回も手術を繰り返すこと、
残存解離をかかえながら生きなければならないこと、
ひとつひとつを知っていくにつれて、
なにもかも諦めなければならないのだ、と絶望しました。

あれから7年になります。
大動脈基部、胸部大動脈、腹部大動脈を人工血管に置換し、
大動脈弁は機械弁にかえて、
弓部に残存解離をのこしたまま、
毎日ワーファリンを飲んで、それでも生きています!

なんにも、終わってなんかいませんでした。

おなじ病で心細く感じている方がもしいるなら、
わたしがこうしてガツガツ生きていることそのものが、
あなたの希望になりますように。

たかぎぷりん


★たかぎぷりん【Kahtunepedia】★

たかぎぷりんさんはマルファン症候群による大動脈解離を発病する直前まで、
自らが主宰する劇団『演劇市場魚船』を2001年に旗揚げし、10年近くに渡って
脚本と演出を手掛けて数々の作品を生み出し、演劇活動を精力的に行なってきました。

また彼女が演劇とは別に、映像作品で関わった代表的なものとしては、
歌手・椎名林檎の映像作品(短編映画2003年)『百色眼鏡』の脚本に抜擢され、
書き下ろした作品があります。その他、映画CMナレーションや声優の仕事など、
多方面でマルチな才能を発揮してこられました✨

しかし2011年2月に病魔が襲い、妊娠中に突然の大動脈解離を発病した事により、
彼女の状況は一変、一切の演劇活動が出来なくなり強制退場させられてしまいます。
緊急出産と緊急大動脈手術、その後二回の大動脈手術を乗り越えて、
子育てと仕事に日々追われながら、長い長い休養期間を必要としました。

そして今年に入り、ようやく新たな劇団『さよならを言う練習』を旗揚げし、
新しい劇団員を集めて何度もワークショップを行い、演劇脚本を書き上げて稽古を重ね、
フリーライターの仕事を兼務しながらコツコツと作り上げてきた復活の舞台が、
ようやく皆さんの前にご披露出来ることになりました✨

劇団主宰たかぎぷりんが長い休養期間を経て、
旗揚げした新劇団『さよならを言う練習』が満を持して生み出す
旗揚げ公演『銀河鉄道猫猫猫(スリーニャイン)』12月20日〜23日まで池袋駅近く
cafe&bar 『木星劇場』で上演されます。

たかぎぷりんさんが今までに体験してきた様々な要素が生かされて、
深みのある演劇になることは間違いないと思いますし、
自分も彼女が生み出す演劇作品の晴れ舞台に立ち会うべく上京し、
劇団名にも含まれている『さよなら』をテーマにしたメッセージを見届けたいと思っています。

この演劇は同じマルファン症候群の仲間達にも見てもらいたいですし、
まだ知り合えていない人達やその他大勢の人達にぜひ観てもらいたいと思います。
もし東京都内、もしくは関東在住の方でこの『さよならを言う練習』さんの演劇に
ご興味のある方はぜひcafe&bar 『木星劇場』に足を運んで頂いてご観劇ください。

たかぎぷりん『さよならを言う練習』をこれからもどうぞ宜しくお願い致します!

カツーン🙇‍♂️


★劇団や公演チケット予約、上演劇場については下記のウェブサイトをご覧ください!

さよならを言う練習 #1
旗揚げ公演「銀河鉄道猫猫猫」

作・演出 たかぎぷりん

2018/12/20(木)〜23(日) cafe&bar木星劇場

★開演時間(受付開始及び、開場は開演時間の30分前
12/20(木) 19:30
12/21(金) 14:30/19:30
12/22(土) 14:00/19:00
12/23(日) 15:00

★チケット料金☆前売、当日ともに3000円(1ドリンク付き)

★旗揚げ公演『銀河鉄道猫猫猫』
チケット予約はこちらから☆クリック→ ticket.corich.jp/apply/95055/

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アラフォーの派遣社員。
旬がすぎたユーチューバー。
家族を失った報道マン。
忙殺される文系SE。
死にたがりを乗せた電車は、今夜も空のうえ。


『こんばんは!夜をかけめぐる、銀河鉄道猫猫猫へ、ようこそ!
 おれが、運転士のトレインです。
 こっちは、ねむらせひつじのメリノ。』



『銀河鉄道猫猫猫』作・演出 たかぎぷりん

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C A S T

中野 杏里(キャンパスシネマ)



森 菜摘

生島 誠人

吉岡 翔悟

保母 優希



赤星 雨(八角家/やさしい味わい/いちごドロップ)

★新劇団『さよならを言う練習』
劇団フェイスブック☆クリック→ https://www.facebook.com/sayonara.wo.iu.rensyu/
劇団ツイッター☆クリック→ https://twitter.com/sayonara_wo_

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★cafe&bar『木星劇場』
劇場ホームページ☆クリック→ http://mokusei-cafe.com/

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全ては『たかぎぷりん』から始まった。。。(ブログ誕生編)

たかぎぷりん』。。。

このワードを聞いて、皆さんは何をイメージするでしょうか。
たぶん多くの人が高木さんというパティシエが作る甘いプリンを思い浮かべるかもしれません。

甘くて美味しそうな名称ですが、食べるプリンのことではありません。

もったいぶってしまいましたが、たかぎぷりんとは友人の名前です。
もちろんそれは本名ではなく、ペンネームのようなものです。

友人のたかぎぷりんさんはweb記事作成などを生業とするフリーライターであり、
一児の母親でもありながら自ら劇団を主宰して舞台演劇の脚本や演出、衣装製作を手掛けるなど、
マルチな才能をいかんなく発揮して精力的に活動されている女性です。

愛媛の田舎侍の自分がなぜそんな方と知り合えたのかというと、今を遡ること7年前の
2011年7月中旬、川崎市の病院で4回目の大動脈手術で入院していた系列リハビリ病院に、
同じ大動脈手術を終えたばかりのたかぎぷりんさんが転院してきた事が最初の出会いでした。
そうです!彼女は自分と同じように国の難病指定疾患であるマルファン症候群の対象患者であり、
大動脈解離発症に由来する大動脈手術に臨んでいました。

たかぎぷりんさんが受けた大動脈手術は術後が一番しんどいと言われる胸腹部手術でした。
左肩甲骨の下部から腹部にかけて左脇腹を斜めに大きく切開している為、
身体を動かす度に切開された骨が動き、激しい痛みに襲われている様子でした。
見た目にも大変弱々しく、消え入りそうな声でその辛さを切々と話してくれるその姿に、
自分も同じ手術を経験した者として、その痛みと辛さが痛いほどよく分かるので、
いたたまれない気持ちで彼女の話を聞いていました。

そしてたかぎぷりんさんは年始にも急性大動脈解離での緊急手術と帝王切開による緊急出産も
ほぼ同時に行っていたので、まだ生後半年も経っていない赤ちゃんの元に帰るために、
術後わずか二週間という驚くべき早さで退院していきました。
まだ退院出来るほどの回復状態ではなかったのは明らかで、母親の強さを垣間見たというか、
その痛みや辛さをも超える意思の強さに感服したのを覚えています。

入院生活ではたかぎぷりんさんと接した期間は短かったけれど、しんどいながらも一生懸命に
歩いて公園を一緒に散歩したりするなど、とても仲良くなれた矢先に彼女の急な退院によって、
連絡先も交換せぬままにお別れしてしまった事がとても心残りでした。

それからまた一年が経った頃です。
入院中に一緒に散歩をしていたメンバーのもう一人で、年配の女性からお電話を頂いた時に、
思い出話しでたかぎぷりんさんの話になり、『彼女の連絡先は知っていますよ。教えましょうか』
と言われたのが青天の霹靂で、ひょんな事から再会する機会が舞い込んできました。

早速たかぎぷりんさんに連絡を取ってみると、三回目の手術を検討している事を相談され、
それに対して自分なりのアドバイスを送ると同時に、思い切って彼女にもう1人のマルファン女性
を紹介する事を持ちかけてみました。

その女性は自分が転院した時にお会いしてたかぎぷりんさんとは入れ違いで退院していった
まおまおさんという方で、マルファン症候群であることや大動脈解離になった経緯、
一児の母であること、年齢も同じで住まいも近いなど、二人には数多くの共通点がありました。

日常生活において指定難病という数少ない患者同士が知り合うのはごく稀な事なので、
自分と縁あってそれぞれ知り合った二人を引き合わせる事が彼女達にとっても有益になるのでは
ないかという思いからの自分のお節介でした。

後に二人から二つ返事で了承をもらうと、一ヶ月後のお盆休みに術後検診で上京する日に合わせ
三人で会う約束を取り付け、マルファン交流会の原点となる初めてのマルファンお茶会を東京で
開催する事に到りました。
二人との1年ぶりの対面では入院生活や病気の話、好きな先生と看護師の話で大いに盛り上がり、
和気あいあいと楽しいお茶会になりました。

二回目のお茶会はそれより三ヶ月後の11月初旬頃だったと思いますが、たかぎぷりんさんは
三回目の大動脈手術、自分は反回神経まひによる声帯手術を両人共に11月末に控えた開催でした。

そして二回目のたかぎぷりんの中で自分の大きな転機となる、ある出来事が起こりました。

それは三人で和やかな会話をしている時でした。
突然たかぎぷりんさんから『声帯手術が終わったら闘病日記みたいなブログ書いてみたら?』
という提案があり、思わぬ提案にビックリして少し戸惑ったりはしたものの、実際の所はいつかは
ブログとかを書いてみようかな〜と漠然とした気持ちで考えていた事もあって、
まるで神様のお告げのような絶妙なタイミングで大きく背中を押される形となったので、
『じゃ、やってみようか』という軽い気持ちから、初めてのブログを作ることを決めました。

前振りがずいぶんと長くなりましたが、これがカツーンブログを始めたいきさつです。
つまり、このカツーンブログを生み出したのは紛れもなくたかぎぷりんさんであり、
マルファンに関する全てはたかぎぷりんさんから始まった事と言っても過言ではありません。

このカツーンブログを始めた事によって実に多くのマルファンの方達に訪問して頂いたり、
またツイッターを交えてより多くのマルファン仲間が出来ました。

昨年よりマルファン仲間達を一同に集めて始めたマルファン交流会も、たかぎぷりんさんと
まおまおさんの後押しと協力により実現出来ましたし、今年は関東と関西で2回ずつ開催する
ことが出来て、おかげさまで多くのマルファン仲間達と対面する事が出来ました。

あの時、たかぎぷりんさんにブログを書くように勧められなかったら、
未だに書いていなかったでしょうし、多くのマルファン仲間達と知り合う事も、
マルファン交流会を開催することも出来なかったことでしょう。
タイミングはとても大事だと思います。

現在のマルファン症候群の方達やそれに付随するロイスディーツ症候群の方達との交流(twitter、
Brog、LINE、マルファン交流会)は関東、中部、関西、中国、四国、九州に至るまで全国的に
広がっていて、それらの人脈は自分の宝ですし、マルファン仲間みんなの財産だと思っています。

自分の力だけでは到底成し得なかった事が、一つの共通点で繋がった見知らぬ人達との出会いの
中で生み出されていく不思議に、人と人とのご縁に感謝せずにはいられません。

もちろん、自分に協力して強く後押ししてくれたたかぎぷりんさんとまおまおさんには、
深い感謝の念を抱いていることは言うまでもありません。

後編に続く。。。

絶望からの脱出と生きる為の原動力

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死と向き合うということ。
それは生きる原動力につながっていく。

急性大動脈解離から、11年10ヶ月。
胸腹部大動脈人工血管置換術から、10年5ヶ月。
大動脈基部置換術から、8年2ヶ月。
腹部大動脈人工血管置換術から、7年8ヶ月。
弓部大動脈人工血管置換術から、7年4ヶ月。
甲状軟骨形成術I型(反回神経麻痺による声帯手術)から、6年。

病気や手術による入院は合計6回を数える。
これが、大動脈解離を発端として自分の身に起こった全ての事象である。

元々、病気知らずだった健康な身体が唯一の自慢でもあり、
大工という肉体と技術を駆使して取り組む仕事に誇りと自信を持っていた。
それが、ただ一つの大動脈解離という症状によってそれら全てが破壊され、
仕事も健康も失い、たちまち奈落の底に突き落とされてしまった。

それからの一年間は本当に地獄だった。

大動脈解離で生死をさまよいながらも紙一重のところで命を取り留めたが、
退院してからは仕事復帰も出来ず、医師からは肉体労働を辞めるよう勧告された。
受け入れ難い現実に家に引きこもり、毎日を呆然と過ごす事しか出来なくなった。

この病気になった事で全ての事柄がひっくり返り、自分の将来像すらも見えず
結婚も叶わなくなったと悲観的に物事を考え出すようになってくると、
家族も兄弟もいない独り身という寂しい環境が余計に自暴自棄へと促進させ、
生きる事が辛くなり、毎日死ぬ事ばかり考えるようになっていった。

全ての希望を失うという事は絶望する事であり、
人は絶望に陥ると生きる気力をなくし、やがて死にたいと思うようになる。
そんなドン底で這いつくばっていた自分が急浮上するキッカケになったのは、
お世話になった恩人の死に偶然にも遭遇した事だった。

2008年3月末、それは突然にやって来た。

ある昼下がり、借家に帰ってくると隣の家に見慣れた車が止まっている事に気が付いた。
それは普段から色々とお世話になっている方(Kさん)の車だった。
最初は家の中に居るのかと思ったが、カーテンが全部閉まっていて人の気配は全くない。

自分が借りている部屋の隣の家はそのKさんが管理していて、
その前月まではKさんの親戚になるお爺さんが一人で住んでいた。
だが、そのお爺さんも数週間前に病気で亡くなり、Kさんと一緒に見送ったばかりだった。
自分の部屋はお爺さんの家と同じ敷地内にあって庭も共通だったので、
何か起こればすぐに分かる。。はずだった。

自分の部屋に戻り、どのくらい経ったのだろうか。
突然、町内放送で火災警報のサイレンがけたたましく鳴り出したので火事はどこだろう?
と、外に出てみると初めてその火事の現場が隣の家だと分かった。
そして最初に目に入ってきた光景は、近所のおばさんがもくもくと煙が立ち込める家から
引きずり出したと見られる、地面に横たわって口から泡を吹いているKさんの姿だった。

この想像も出来なかった異様な状況を目前にして、自分はなすすべもなく、
ただその姿を呆然と見つめる事しか出来なかった。
Kさんを介抱しているおばさんに『人を呼んできて』と言われてようやく我に返ると、
近所に住む大家さんを全速力で呼びに行った。

消防車や消防団も駆けつけて幸いにも火事はボヤで済んだが、泣き叫ぶ家族が見守る中、
やっと到着した救急車によってKさんは病院に運ばれていった。
しかしKさんはすでに手の施しようがなく、一酸化炭素中毒で間もなく病院で亡くなった。

紛れもない自死だった。

Kさんが前々から悩みを抱えていた事は自分も知っていた。

まさか、わずか数時間のうちに身近な所で命が失われてしまうなんて信じられなかった。
最初に車に気づいた時に声を掛けに行っていれば、もしかしたら助けられたかもしれない
という思いが頭の中を何度も駆け巡り、後悔の念に苛まれた。

初めて人の死というものを間近で目の当たりにした事で、
死とはあっけなくもあり、儚いものであることを知った。
同時に生というものが、とても尊いものである事も思い知った。

それまで死にたい死にたいと思っていた愚かな自分に、生と死の狭間を見せつけて
死という現実を目の前に突きつけられた気がした。

『お前もこんな風になりたいのか』と。

『生きたい。やっぱり死にたくない』

土壇場になって自分の中で眠っていた強い感情が吹き出してきた。
それからである。自分が本当の意味で意識が変わったのは。

『死ねない!絶対に死ぬわけにいかない!』

それ以降は、生きる事や手術に対しても真剣に考えるようになった。
自分が生き残る為に出来る事を精一杯やろうと、大動脈手術の事を調べる所から始めた。
そして、インターネットでその当時日本でトップクラスの手術件数と実績を誇り、
なおかつ大動脈を専門に取り扱う病院にようやくたどり着いた。
病院HPの内容をじっくりと吟味して、自分の気持ちは一瞬で決まった。

『手術はここでやりたい!ここしかありえない!』

それからの決断と行動は早かった。
すぐに病院に電話をかけると、自分が大動脈解離を起こして手術適応になっている事や、
セカンドオピニオンを受けたい旨を伝え、その数日後に病院のある川崎市に行く手配を進めた。

セカンドオピニオンには家族の同行が必要な為、岐阜に住む叔母にその事を相談すると
快く同行する事を引き受けてくれた。
そして初回のセカンドオピニオンで診察前にCTなど複数の検査を済ませてから、
後の主治医となる大動脈センター長の診察で一通りの手術説明を受けた。

手術に対して絶対の自信を持っている大動脈センター長の言葉がとても頼もしく思え、
手術説明の内容をよく理解した上でこの病院で手術をする事を改めて決断し、
二ヶ月後の手術予約を取った。
こうして最初の大動脈手術へと向かっていった。

この時はすでに覚悟(死のリスク)も出来ていたからか、手術への恐怖心など皆無だった。
その後の手術も同様で、死を目前にした経験をすると少々の悩みなど小さな事に思えた。

今でもこの時の出来事とKさんの事を忘れた事はない。
助けられなかったKさんの命と、たくさんの人によって助けられた自分の命。

命の儚さ、命の尊さを知る事が出来たからこそ、
精神的にもとても強くなれたし、自分は今でも生き続けられている。

生きられる事は素晴らしい。
自分がやりたいと思う事は何でも挑戦出来る。

一度死んだと思えば、今はもう一度だけ与えてもらった人生を楽しむチャンスと捉えられる。
だから自分は二度目の人生を思いきり楽しむ事を第一に考えながら生きている。

今、絶望感に苛まれている人達(10年前の自分のような)には死なないでほしいと切に願う。

たとえどんなに生きる事が苦しくても、生きていて良かったと思える日が必ず来るから。

生きていれば、まだ出会えていないたくさんの友達に出会えるから。

今は苦しいだろうが耐えてほしい。

そして生きろ。

いつか人生を楽しいものとする為に。

これが自分が死と向き合って、たどり着いた原点である。

自分と同じような病気や環境で苦しんでいる仲間達を元気付ける原動力になりたいと思う。


☆ プロフィール

KAHTUNE

★KAHTUNE★
愛媛県在住のカツーンです。
マルファン症候群です。
4回の大動脈手術で、人工弁と人工血管に全置換しています。

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